慶長8年(1603)より姫路藩主・池田輝政の次男・忠継が28万石で岡山に入封して以来、
明治期まで代々岡山城城主としてその地を治めた大名・池田侯。明治維新後は華族令により、侯爵に列せられます。
象彦に所蔵されているお膳は、10万石以上の大名を饗応した際に用いられたものと伝えられており、
本膳、二の膳、三の膳など一式が揃っており、豪華絢爛なうつわの数々は、池田候の大名としての力をうかがい知ることができます。
椀や膳には、松竹梅文様に別名「池田蝶」とも呼ばれる、備前蝶紋が金(きん)蒔絵(まきえ)で全面に描かれています。
この定紋は、備前池田侯が江戸時代初期以降より用いました。
もともと織田信秀から下賜された「揚羽(あげは)蝶」を定紋としていましたが、分家の増加とともに、備前蝶へと変形させました。